5年目 〜あの時、強制的に歯車が動き出した〜

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節目と言って振り返るのもどうなのかと言う気がして、書いて良いものなのか悩んでいました。

2011年3月11日、私は秋田に一種の諦めと、「秋田は変わらなければならない」という使命感を得ました。

 

震災当日

私は4月からニュージーランドへ留学する予定で、秋田県のとある企業で短期のアルバイトをしていました。

たしか数日間に予震があったと思います。

大きく揺れ、帰宅を指示されました。

しかし、停電で信号も何もついていない街は交通網も麻痺。電車も全線ストップ、電話もつながらない状況。駅は秋田かとは思えないほどの人で溢れていました。

 

Twitterというツール

そんななか、情報の手段はTwitterしかありません。

メールも電話もつながらない中、TwitterやNHKをUstreamで流す西日本の方の動画だけが情報源でした。

駅はパニックで、女子高生が泣き崩れて過呼吸になっていたので、紙袋を探しにいくつかの店舗を回り、介抱していました。

秋田は大丈夫だということを教えるために、携帯の画面を見せて回り、状況の把握をしてもらいました。震源地や、マグニチュード、秋田県内で帰宅難民受け入れの施設、携帯の充電ができる場所など、私自身も情報発信に努めました。

 

使命感

電車が動いていないので、私自身も帰れなかったのですが、友人が車で迎えに来てくれて、家まで送ってくれました。

信号や家の灯りが全くついていない街は本当に廃墟のような物悲しさがあります。

停電は地区によって違うとは思いますが、うちは3日くらいかかったように記憶しています。電車もそのくらい。

 「翌月(4月)に海外に行っている場合ではない。日本をなんとかしなければ」

と強く思い、ニュージーランド留学を7月からに延期しました。

おそらくこの瞬間が、自分がなんとかしないと、世の中は変わらないと思った瞬間だと思います。それは、言い方を変えると「自分が行動すれば、日本に影響を与えられるかもしれない」という可能性を感じたんだと思います。

 

どうやって支援するか

復興のボランティアに行きたかったのですが、募集は無し。目処もつかない。

ならば、自分で作ればいい!

ということでボランティア団体を立ち上げました。

その名も

「しょしがり秋田」

くぅ〜、恥ずかしい!特に銀行の窓口に行った時が一番恥ずかしい(笑)

「しょしがり秋田さま〜」 って大きい声で呼ばないで!!

 

チャリティーイベントやTwitterでの呼びかけで、メンバーを募集し、80名くらいの大所帯になりました。

みんな「行きたいのにどうしたらいいかわからない」という一般の人たち。経営者から行政の方から、学生もいました。

 

石巻ボランティア

ゴールデンウィークに3泊4日で石巻へ行くために、バスを借り、テントを借り、食べ物を持ち、タンクローリーを借りました。

資金は企業や募金をいただき、バス代と交通費代にしました。

テントは自治体さんからお借りし、タンクローリーはすでに復興支援を始めた経済団体さんからお借りしました。

移動し、到着した時には自衛隊の方が道路を整備してくださっていましたが、交差点の真ん中に船があったり、ビルの2階に車が突き刺さっていたりと、非日常すぎる光景でした。

到着してのボランティア登録。

私たちは石巻の神社周辺のがれき撤去にあたりました。
5月の毎年の夏祭りを開くために撤去すると。
すでに地元の方は、地域のことを考えていたのです。

「暗いニュースだけど、目標や楽しいことがないと、地域の活力が無くなる。祭りをするという目標が自分たちを奮い立たせてくれる。長い目で見るほど、不可能と感じる。逆に目の前のこの場所で、祭りをという目先のことがあってやっと動くことができる。そうしたら皆さんが来てくれた。光を感じる。まだやれる。がんばれる。ありがとう」

気づいたことがあります。

高すぎる目標は、モチベーションにならないんです。

適切な距離感と、目標を掲げる必要があることを。

 

週末ボランティア

石巻はたった4日のことでしたが、それから平日は仕事、土日は岩手県の遠野市を拠点として、岩手の沿岸へボランティアに行っていました。

大船渡、釜石、気仙沼が主な活動地でした。

その頃には、交通網をかなり整備され、「現地で調達し、現地にお金を落とすこと」が重要になっていており、逆に活動する分には楽になりました。

毎回、数台の車で行きます。

金曜日の夜に出て、日曜の深夜に帰ってくるような状況でした。

秋田でも物資の寄付や、ボランティアの派遣が計画されてきたため、私は留学に行く決心をしました。

 

つまり言いたいこと

今の自分につながっています。

今の秋田には「現状に対して対応する能力」が遅れています。

さらに「未来を見据えて行動する能力」は皆無です。

もっと民間企業が「もしも」のための力 = 利益 があり、行政がバックアップできる体制にあれば。

 

もっとも被災地に近い県なのに、もっとも支援できていないことが県民として恥ずかしく、被災の方々に申し訳ないと思いました。

僕は活動中ずっと、県内で震災の話をしている人に「じゃあ一緒に行きませんか!?」と言い続けました。現場も見ないのに、あーだこーだうるさい人が多すぎます。そうやって誘って行くと行ってくれる人はほぼいません。なぜなら、行ってくれるような方はすでに行動に移していたからです。

 

今、秋田の未来を見据えて

今の秋田も同じ。少子高齢化や人口減などとは言われていますが、根本的なことは「経済と雇用」です。

帰ってこないのは、給与が低く、やりたい仕事がないからです。

地域や文化や自然はみんな好きで帰ってきたいと思っています。なのに帰ってこれない理由は仕事です。

企業の利益を出し、起業家が増えないことには秋田の未来は増えません。

それを誰がやるのか。

自分しかいないと思ってます(傲慢な言い方ですみません)

 

震災を通して、秋田のダメさを感じました。

この県は変わらなければならない。グローバル化として、地域との連携をしなければならないのに、隣の県すら支援できないダメな県

でも好きな秋田県。素晴らしい秋田県

昔から東北の中でも飢饉が少なかった秋田県。

 

良いところを残し、悪いところを変えるというのは非常に難しいと思います。大抵は表裏一体だから。

 

雇用と経済から、秋田を変え、県民性を変えたいと思って活動をしています。

 

秋田を行動型の社会へ

 


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