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【須田コラム】直すんじゃなく、見せなくする 人見知りを誇りにしよう

※この記事は代表須田の個人ブログ記事「【人見知りも個性】治すんじゃなくて、見せなくしよう!」を再編したものです

私は非常に人見知りです

本当に、小学校・中学校のときから人見知りではあったんですけれど。

私は田舎の小学校に行っていたので、幼稚園から中学生まで、全員同じメンバーで上がっていくから、あまり同級生とかには人見知りしなかったんです。

だから他の学校の人と会うとか、そういうのは滅茶苦茶緊張すると気づいたのは、高校に入ってからでした。

高校に入って、他の学校から来たような、初めましての人達とたくさん会うときに、「もう新しい人と会いたくないな」と思って。今、大人になっても、本当はそう思っています。

会合とかでたくさんの知らない人達の中に行くというのは、そこに行くとほぼ何も喋れないですし、知っている人としか喋らないくらいの、内向的な人間です。

人前で喋るなんて、緊張するからなるべくしたくない、というような人でした。 

赤面症で、人前で喋るとすぐに顔が赤くなっていたような人間でした。

「でした」と言ったのは何かというと、今もそういう傾向はもちろんあるんですけれど、やっぱり、慣れていったというのがすごく大きい要素だなと思っています。

私自身が、今は講演会をしたりとか、セミナーで登壇したりとか、いろんな機会を与えてもらっていて、慣れてきたというのがあります。

大事にしている言葉「量が質を生む」

大事にしてやっているのは、新卒のときに当時の上司に言われた「量が質を生む」という言葉です。

人見知りについて新卒のときにすごく感じたのは、新卒で企業さんにプレゼンするとか、電話もそもそも嫌なんだけれど、人見知りを治そうとすると、自己否定になっちゃうんですよね。

「人見知りな俺は駄目だ」「人見知りを治さなきゃ」って思っていて非常にそれがしんどかったです。

関連記事:【須田コラム】私が大切にしているもの① 量が質を生む

人見知りは治らない

社会人になってから上司が、「人見知りはもう生まれ持ったものだから、治らない」「だから、治そうとするのをやめろ」と言われて、「ああ、治さなくていいんだ」みたいに、ちょっと気が楽になったときがありました。

そのときに、「じゃあ、どうすればいいんですか?」って聞いたら、

「人見知りのままでもいいし、緊張したままでもいいから、緊張しているように相手に見せなきゃいいんだ」と言われました。

「じゃあどうしたらいいんですか?」って聞いたら、
「堂々としろ」
「その、堂々とするのができないんですけれど」
みたいな会話をしながら、

でも、人見知りだから自分の性格を治すだとか、緊張しないようにしなくちゃ、というようなことをしなくてもいいんだというのは、非常に気が楽になりました。

人見知りも1つの要素だし、これは変えようもない、先天的なものだと思うので、変えるということをやめたところから、自分を受け入れられたような気がしています。

その後、独立して人前で喋ることも増えて、「全然人見知りじゃないですよね」って言われるのが、1回嫌になった時期がありました。

人見知りに見えないのはスキル

「いや、俺は人見知りなのに、すごく頑張って人見知りじゃなく見せているし」みたいなことで、人見知りじゃないと言われるのが嫌だったんです。

またそのときも、昔の上司に「最近こう言われるんですよね」って言ったら、「それはもうスキルがついたって認められた証拠だから、喜べ」みたいに言われて。「ああ、たしかにそうか」と。

見えないと言われるということは、認められているんだ、ということがわかって、それがもう、今はすごく嬉しいので、いろんなところに行って、「絶対人見知りって嘘でしょ?」とかって言われれば言われるほど、「よっしゃ、スキルがついたぜ」というふうに思ったりしています。

人見知りはどう就職活動をすればいいか?

今は就職活動の相談とかにのっていると、
「面接で上手く話せるかが心配です」
「私は人見知りなので、就活が怖いです」
「東京に行くのが怖いです」
とかっていう相談もすごく多いんですけれど。

もう「人見知りです」ってカミングアウトしながら、「緊張しています」ってことを伝えてたほうがいいだろうし、人見知りであることって、別にただの1つの特性でしかないから、「大事なのは、そのときに一生懸命ものごとを伝えることかな?」ということも思ったりします。

なぜ自分は人見知りなのか考えてみよう

あとは、自分がなんで人見知りなんだろう?ということを考えてみるといいかなと思います。

人見知りの中にも、いろんな人見知りがいて、人見知りだからこそたくさん喋っちゃうという人もいれば、人見知りで、もう何も喋れなくなっちゃう、という人もいるので。

その中には、私の場合は、ですけれど、人の目が気になる、というところがあって、更に深掘りしていくと、その人がどういう価値観の人かわからないから、いわゆる地雷が何かわからなくて喋れなくなる、というのが私のタイプだったんですね。

だから、結構私は尖ったことを喋ってしまう人間なので、「これを言ったら嫌われてしまうんじゃないか?」とか、「どこまで踏み込んだ話をしていいんだろう?」みたいなことがすごく気になっちゃって、逆に話題も見つからなくなる、という。

だから、新しい人と出会うときには、相手が自分に対して比較的好意的な人は初めての人でも話しやすいけれど、向こうがフラット、もしくはあまり私に興味が無いというような場のときは、もう全然、何も喋れなくなるというか。

そもそも、何も話題が思いつかないんですね。

話しかけたくもないし、話しかける話題も思いつかない、ということが今も普通にあります。

人見知りというのは、いろんな人見知りと、人見知りのいろんな理由があると思うので、自分がなぜ人見知りなのかを考えながら、駄目なところはもう無理はしない

人見知りは誇り

人見知りって、逆に人の気持ちとかもわかるし、配慮とか、空気も読めるっていう証拠だよね、って自分で思いながら、人見知りを誇りに思っていこうと思いました。 

そして、人見知りを周囲に見せなくするためには、すごく乱暴な言い方なんだけれど、やっぱり慣れのところが大きくて、量でカバーできたりとか、慣れでカバーできる部分はただの努力不足を言い訳にしない、というようなことに気をつけてやるべきなんじゃないかなと思います。 

まとめ

  • 人見知りは1つの特性なので治さなくてもいい
  • 自分の人見知りの理由を考え分析する
  • 量や慣れでカバーできるところを見つければ克服できる
  • 人見知りがバレなくなったら認められている証拠

関連リンク

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