人事担当者向け

【なんでなんでのVision】常識と個性の境界【解消したい境界】

「常識と個性の境界」とは

一般的なルールや社会的な振る舞い(常識)と、自分自身の独自性や自由な表現(個性)との間の線引きのこと。

私たちは子どもの頃から学校などで「個性を活かしなさい」とよく言われてきました。

しかし、実際に学校生活で求められるのは、協調性や集団行動であったりします。

このように、「個性を大切に」と言われながらも、日々規範に従うことを強いられ「常識」を守ることを求められてきた現実があるのです。

「常識と個性の境界」を無くす上で、まず私たちは「常識と個性はそもそも矛盾している」という現実を知らなければなりません。

学校に根付いた常識と個性の境界

前述したように、「他人と違っても良い」「自分らしさを表現しよう」と言いながらも実際蓋を開けてみると、学校では指定の制服が決められていたり、登校時間が決まっていたり、決められたカリキュラム通り足並み揃えた行動が求められたり、全員が一定のルールに従うことを求めます。

成績や進路だって一般的な基準に従って評価され、基準を満たすことが社会的に「正しい」とされています。 つまり、日本の社会では集団の中でできるだけ目立たないように振る舞うことが「常識」として子供の頃からしっかりと根付いているわけです。

社会で感じる常識と個性の境界

それは社会に出てからも同じで、「個性を活かしたアイディアを発信しよう」と言葉では言いつつも、そもそも自由な発言ができない環境だったり、自分らしい発言や働き方をすれば顰蹙を買ったりと何かと制約が多いのが現実。

特に、地方や伝統的な文化が色濃く残る場所(秋田など)では、より一層、慣例や習慣が法律よりも優先される場面が多かったりします(新しい発想がなかなか住民に受け入れられない等)。

このように、個性を尊重する風潮はあっても「その個性が周囲から受け入れられるか?」はまた別の問題になってくるのです。

私たちが目指すのは「常識と個性のグラデーション化」

人と違うのが尊いもの(個性)だと言われる一方で、社会で受け入れられるためには周囲との足並みを揃える必要性(常識)がある日本の社会。

この矛盾した環境の中で私たちが目指すのは「常識と個性のグラデーション化」。

これは、常識と個性がはっきりと分かれているのではなく、その間にある曖昧な部分や多様なスタイルを受け入れる考え方のことを言います。

そして、常識と個性をグラデーション化させるためには、私たちは「個性と常識」のバランスを上手に取っていく必要があります。

どうすればグラデーション化できるのか?

「常識」は一定だと思っていませんか?

まず重要となるのは、「常識」は常に固定されたモノではなく、時と場合によって変わるものであることを理解すること。

例えば、ビジネスシーンでにおける「クールビズ」。 近年一般的になった夏場の服装のルールですが、スーツ文化が色濃く残る業界では、未だ半袖シャツや肌着を着ることに対する違和感が依然として存在します。これは、かつての「マナー」や「常識」が今でも根強く残っている証拠とも言えるでしょう。

しかし、どんな場面でもピシッとスーツ着ることが正解と言えるのでしょうか?

スーツを着るべきかどうかを決める際、その場の雰囲気や相手の立場を考慮することが大切です。

相手が「カジュアルで来てください」と言っているならカジュアルにする。「スーツで来てください」と言うならば、その期待に応えるのがベストですよね。

この例からも分かるように、世間の「常識」にばかり捉われず相手との関係性を最優先し常識と個性のバランスを見極めることが実はとても大切であり、常識と個性をグラデーション化する上で最も重要なポイントとなるのです。

世の中の”当たり前”に疑問を持ってますか?

例えば、朝8時に会社に来て17時に帰る働き方がこれまでの”当たり前”だったとします。

でも果たしてそれが全員にとって最適なのでしょうか?

心身の特性上「どうしても朝は苦手です。でもその代わり夜は能力を発揮できます!」という人もいるかもしれません。 8:00〜17:00に働けなくたって、深夜の時間に誰よりも集中して作業できる能力があるのなら、それがその人にとっての最適になります。

また、社交的でニコニコ誰にでも感じ良くコミュニケーションが得意な人が社会人として100点か?というと、決してそうではありません。不安なときは不安な顔をして、やりたくないことがあればそれをしっかり伝えて良いんです。いつもニコニコ!イエスマンでも頭が空っぽなら全く意味がありませんから。

もっと身近な話で言うと、食事の「1人前」の概念は一体誰が決めたのでしょう? お店のメニューやレシピに「1人前150g」と書かれていても、人によってその「1人前」の基準も必要な量も全く異なりますよね。 「1人前」という言い回しが世の中の当たり前のようになっていますが、”人それぞれ”という視点を持って300g食べたって良いんです。

常識から外れるのが「個性的」でしょうか?

常識と個性を考える上で最も勘違いされがちな点。 よく「常識から外れることが個性的」と考える人が多いですが、実はそれは大きな間違いです。

奇抜な髪型やピアスをたくさん開けて、単純に人と違うことをすれば「個性」と捉えられがちですが「個性」の本質はそうではありません。

個性とは、他人の意見や流行に左右されず、自分の信念や価値観に基づいて決めたことを貫く姿勢のこと。つまり、「他人がどう思うか」を超えて、自分自身の意志で決めた行動にこそ「個性」が現れるものなのです。

だから例えば、黒髪で地味な服装でもそれが自分のこだわりで選んだスタイルであれば、それがその人にとっての個性になります。 周囲の評価や流行に影響されず、自分の意志で選ぶことこそが真の個性と言えるでしょう。

「個性」の前に「基本」を理解していますか?

さらに言うと、個性は単に常識から外れることではなく「基本を理解した上であえて外れること」が大前提。基本を知らずにただただ自由に外れていくのでは、それは「個性」ではなく、ただの「破天荒」です。

個性を発揮するためには、まず基本を理解すること。 基本を知った上で「自分がどう外れるか?」「どこまで外れるか?」を考えることが重要です。 それができて初めて、自分らしい本当の個性が表れるのです。

例えば…宝塚歌劇団 

宝塚歌劇団の稽古では、手の角度、指先の流れ、目線の高さに至るまで、すべての動きに細かな決まりがあります。例えば、ラインダンスで足を上げる角度がほんの少し違っているだけで指導者から厳しく注意が入ります。 一見「なぜそこまで?!」と思ってしまいますが、このような徹底的な「基本の」訓練があるからこそ、舞台で見えるほんのわずかな仕草の違いからその人らしさ(個性)が生まれるのです。 つまり、宝塚における「個性」とは、単なる自由な表現ではなく”厳しい基本の訓練をこなしてこそ”にじみ出るもの、ということ。

「基本」から生まれる「個性」は他の職業でも見られます。

調理師同じレシピ、同じ材料でも、火加減・タイミング・盛り付けで味や見た目に差が出る
介護介護のケアも「同じ流れ」なのに、利用者が安心でき、嫌がらないケアをできる人がいる
販売員マニュアルに沿って接客しても、「売れる人」「売れない人」が出る

参考リンク:型をとるか、個性をとるか(西川智希)|note

常識と個性のバランスを見極めること

「こうするのが当たり前だ」の常識に囚われていませんか?

盲目的に「常識」に従うのはNG。

立場や相手の状況・心情に応じて柔軟に考えること。

常識と個性、どちらか一方が常に正しいわけではなく、その場に応じた最適な選択をすることが、現代社会における「常識と個性」のバランスであり、本当の意味での常識と個性のグラデーション化と言えるでしょう。

「常識と個性の境界」を無くすためになんで・なんでができること

  • キャリアコンサルティング事業
  • キャリアデザイン事業

なんでなんでのVision 無くしたい境界

価値観の境界

常識と個性の境界(本記事)

社内外の境界

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