「なんで・なんで」の情報

能登半島視察

明日は我が身の震災被害。
ひとたび災害が起これば、やるべきタスクは無限に増えます。リアルタイムの状況を発信する。情報を取りまとめボランティアを仕切る。自ら被災者であり、守りたい家族がいる中、誰が誰と連携し、外部との架け橋になるのか、備えることは多くあります。
災害から学び災害へ活かすため、被災地で見たこと、感じたことを書き留めます。



2024年1月1日に発生した能登半島地震。復興ままらない春に、須田は珠洲市へ2週間、篠原は七尾市へ約2ヶ月間滞在し、復興支援を行いました。



地震発生から8ヶ月。有志の大学生と一緒に、再び能登へ。現地のリアルな状況を視察し、ボランティアをしている団体の方へヒアリングをしてきました。


DAY1_2024.8.26

秋田からの移動日。目指すは能登半島の入り口である石川県七尾市。片道約8時間の運転です。とはいえ、秋田からの移動手段は飛行機も可能。能登半島にある「のと里山空港」までは羽田空港から約1時間、割引もしています。※ANA能登復旧支援割についてはこちら

一見、被害が無かったように見える七尾市。ですが一歩角を曲がれば崩れた建物が目の前にありました。

訪問_株式会社御祓川

石川県七尾市で20年以上まちづくりをしている会社です。これまで築いてきた県内外とのネットワークを活かし、復興ボランティアの拠点として中心的な役割を担っています。訪問時にも、たくさんの県内外の大学生が滞在していました。皆で食事を囲みながら、七尾市の復興の現状や具体的なボランティア内容を教えてもらいました。

七尾市内の飲食店で交流会

DAY2_2024.8.27

2日目は能登半島を一周。七尾市の和倉温泉から珠洲市、輪島市へ。

七尾市の和倉温泉は能登湾を望む温泉街です。建物はひっそり、足元を見ればガタガタの歩道。甚大な被害により休館している施設が多いのが現状です。今すぐにでも宿泊可能な宿や、今後の再開を発表した旅館もあります。※和倉温泉宿泊情報はこちら

訪問_珠洲市

七尾市から珠洲市へ向かう道路は、開通したといえ凸凹道。あちこちに地滑りの跡が残り、迂回路も多く走行も遅くなります。そして、珠洲市に入ると街は一変します。
そこに息づく生活があったかと思うと、胸が苦しくなる光景が広がります。

地震の揺れだけでなく津波被害も受けた珠洲市。ようやく水道が復旧したとはいえ、瓦礫撤去はまだまだ追いついていません。

訪問_ホテル「 notonowa(のとのわ)」@珠洲市

そんな珠洲市ですが、新しくオープンした場所もあります。海沿いの道に佇むホテルは、移住者の青年が震災前から計画をしていたもの。震災の影響で遅れたものの、晴れて7月にグランドオープン。大きな窓から海が一望できる部屋になっているそうです。隣には3Dプリンターハウスのモデルハウスも建設中でした。

訪問_合同会社CとH@珠洲市

同じく珠洲市で、被災者も支援者もつながるハブの一つとなっているのがOKUNO to Bridge(奥能登ブリッジ)。こちらにも、大学生インターンが滞在しています。人手が無いため営業日数が限られてしまう飲食店でアルバイトをしたり、地域の人と共に飲食イベントの企画をしたり。こんな時だからこそ「ワクワク」の気持ちを大切に活動をしているそうです。

訪問_のと復耕ラボ@輪島市三井町

次は輪島市の、のと復耕ラボへ。元々は農家体験のできる古民家宿でしたが、震災以降ボランティア拠点として輪島市内陸部の復興を支えています。外のテント、そして古民家の中にもテントを張り、ボランティアやインターン生が入れ替わり生活をしているそうです。

ここでお話を聞いた大学生やスタッフさんは共に東北出身。「目に見えて進んでいる復興もある。僕らは未来を向いている」そう語るスタッフの言葉が印象的でした。もちろん苦しい。でもこんな今だからこそ前を向いてこの街に向き合う。そんな覚悟と勇気を、支援者から被災者へ、広げていこうとしているように感じました。

訪問_輪島朝市

メディアでも取り上げられることの多かった輪島朝市の火災。訪問時は建物の解体と瓦礫の撤去が行われ始めたところでした。
また、道路に横たわるように倒壊したビルも、解体が決定したそうです。

目の当たりにした現実は想像以上に心に刺さったようでした。視察に参加した大学生メンバーたちは、その晩、遅くまで語り合っていました。


DAY3_2024.8.28

振り返り、そして今後…

帰路に着く車内での振り返り。言葉を選びながら話す皆の口からは、「実際に見て良かった」という声が多数出ました。『報道で見ていた時はどこか他人事だった。でも今現実に見て自分にも起こる現実なんだと実感した。』百聞は一見にしかず。視察をしたからこそのシンパシーからエンパシーへ。共感の意味が変わったのだと思います。

須田は言います。

『能登は復興させなければいけない。経済という観点で見れば、金銭的支援をしても立ち直れないかもしれないし、そこに税金を投入するよりも、、、という意見が出るのもわかる。でも、その考えは東京一極集中の流れそのものだから。今、能登を復興させなければ地方は切り捨てて良いと判断したことになるし、地方に住んでいる我々としてはそれを認めてはいけないと思っている。』

では何ができるか、何をするか。

ボランティアなんてできなくてもいい。ただただ、行ってご飯を食べて温泉に入るだけでいい。まずは関心を持ってくれることが嬉しい。能登の人たちは口を揃えてそう言ってくれます。そんな少しの能登への視線が、いつしか自分たちの街への関心に変わるかもしれません。

明日は我が身。
能登への支援について、自分たちの街について、自分の生き方について。一緒に語り合いましょう

参加した学生のnote記事もぜひご覧ください!

番外編のお知らせ

能登の復興支援はお買い物からも!訪問した株式会社御祓川が運営するネットショップです。
美味しい能登が集まってます!!

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